三澤康彦氏、逝去 享年65

更新日2017年07月01日

現代木造建築の普及に多大なる貢献をした三澤康彦氏が、平成29年5月5日帰らぬ人となった。享年65。三澤康彦氏を偲び、ゆかりある方々に追悼文をご寄稿いただいた。

野沢正光氏(野沢正光建築工房)
享年65歳はいかにも若い。満64歳になったばかりではないだろうか。オーエムの草創期からさまざまな場でお目にかかった。彼の手がけた駿河工房の焼津モデルハウスは、竣工から四半世紀近くたつのではないか。今も健全にそこに在り、地域に公開され、なくてはならない場になっている。

彼が立ち上げた「MOKスクール大阪」の運営と継続は多大の労を要するものであったはずだ。もちろん多くの協働者の力にもよるのだろうが、彼、そして彼の連れ合い文子氏なしでは今の姿は決してなかっただろう。関西エリアの木造建築を仕事とする建築家の活動の多くは「MOKスクール大阪」の存在と切り離せまい。多くの建築家、構造家がここで話をした。私も彼に乞われ何度か講師としてこの場で話した。初期には修了の後に千里のシンプルで豊かな家に招かれ、食事をし、泊まらせていただいたこともあった。たくさんの話をした。翌朝、彼に誘われ車で風呂屋に走ったことが懐かしい。無類の風呂好きであった。

先日、大阪の建築家グループに愛農高校の仕事を見てもらう集まりがあった。もちろんそこでも三沢康彦氏の訃報が話題になった。初孫の初節句を祝う有馬温泉旅行のさなかのことと知った。心から冥福を祈る。


木村博昭氏(建築家/京都工芸繊維大学院教授)
三澤康彦氏が、5月5日に急性心不全で亡くなった。65歳であった。連休の最中、Ms事務所からの着信が携帯に残っていた。多分、自宅近くにでも来るのだろう、としか思わなかった。三澤氏の急逝の知らせ、あまりにも突然の訃報に愕然とした。信じられない、信じたくない、耐え難く辛い試練である。彼と私は、共に建築を学び、16歳からの付き合いになる。互いに切磋琢磨しながら、私は鉄構造に興味を見つけ、彼は、木造構造を極めた。建築デザインから構造開発、そして流通システムに至る変革に彼は努め、現代木造建築の普及に力尽くした。素晴らしい業績を残した木造建築の第一人者であった。

三澤氏の原点である自邸が完成したのは33歳のときだったと思う。あまりにも落ち着きのある若い建築家の作品に驚き、新建築社の編集者から「何歳ですか」と尋ねられたことを覚えている。やはり早熟な建築家であったと改めて思う。だからこそ、設計のみならず経験をより深化させた、多才な活動に至ったのだろう。

思えば君は、いつも突然の行動に出る人物でした。いつも一所懸命であり、率直な生きた建築家でした。暫しのお別れになりますが、また昔のように君と建築への志を語りたい。そして、出会えたことに感謝したい。

Jパネルハウス-胡桃山荘(2011年竣工)

三澤文子氏(Ms建築設計事務所)
5月5日の朝、家族旅行で有馬温泉に泊まった早朝、いつものように「朝風呂先に行くね」と声を掛けたのに、起きることなく突然の別れとなってしまいました。昨夜まで元気いっぱいで、連休の始まりには、珍しく自宅でゆっくりとした時間をもち、今後の仕事の進め方など話し合っていて、未来はまだまだ続くと信じて疑うこともありませんでした。

三澤康彦と1985年にMs建築設計事務所を開設して32年。阪神・淡路大震災の後の1996年からは、私がMSDの代表と、組織を分けてはおりましたが、実質は1つの組織として共に活動しておりました。木造住宅の設計に情熱を傾け、阪神・淡路大震災後に出会ったJパネル、Dボルトの開発など精力的に取り組み、フットワーク軽く地域の林産地の方々と友好を深めました。今まで注目されていない地域の木材に目を向け、それらを「MOKスクール大阪」の受講生などに余すところなく紹介をして広めていくことに、やりがいや、楽しさを感じていたようです。三澤自身も材木屋に負けないくらい大好きな木材を買い込み、数年かけて管理して自分の設計する建築に自由自在に使って楽しんでいました。また「ストレスは無い」と言い切るほど前向きで問題解決能力の高い人でした。

設計途中の仕事は、私が受け継ぐことになりましたが、今も、机の上には5月4日の早朝に描いていた設計中のS邸の矩計図が貼りつけてあります。シャープペンも図面の上に置かれたままです。独特のタッチの手描き図面、当分このまま机の上に貼りつけておこうと思っています。


故・三澤康彦氏 略歴
1953年大阪府生まれ。'74年美建建築設計事務所勤務、'80年一色建築設計事務所(東京)勤務を経て、'85年Ms建築設計事務所を三澤文子氏と設立。'96年には木構造住宅研究所(2009年にMSDに改称)を設立、およびMOKスクール大阪を開催。日本各地の林産地の特性を調査し、地域材を生かした「木の住まい」を研究・展開した。また、木の住まいに関する商品・工法の開発にも取り組んだ。2017年5月5日逝去。享年65

写真提供:Ms建築設計事務所

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