徹底解説[リノベーション]稲垣淳哉氏・佐野哲史氏(Eurekaエウレカ)

更新日2016年10月07日

暮らしの記憶をつなぎ新たな豊かさを付け加える

徹底解説[リノベーション]稲垣淳哉氏・佐野哲史氏(Eurekaエウレカ)

既存部分の面影をなくし、デザインを一新することはリノベーションの本意なのだろうか。意匠設計者、構造設計者、環境設備設計者が協働する建築設計集団「Eureka」で意匠設計を担当する稲垣淳哉氏と佐野哲史氏に、近年の事例を通して、リノベーションに対する考え方を聞いた。

構成=清水 潤 人物撮影=石井 真弓 建築写真=大倉 英揮

既存住宅はそのままに、半屋外の開放的な離れを設ける

─2010〜 ’12年にリノベーションを手掛けられた「感泣亭」では、建築家・生田勉(1920-1980)が ’60年代に設計した2階建ての木造住宅に増築をされたそうですが、どのような経緯があったのですか。

稲垣感泣亭の建築主は詩人・小山正孝(1916-2003)で、詩人・建築家で夭折した立原道造(1920-1939)とも交流のあった人物でした。立原を通して生田さんと小山さんに深い友情が生まれ、小山さんの住まいを設計したということです。

私たちは5年ほど前に感泣亭を見学する機会に恵まれ、その際に案内をしてくださったご家族からリノベーションについて相談を受けました。正孝さん亡き後、詩人仲間の方々が書斎に集まり、同氏を顕彰して朗読や研究会などを定期的に開いていたそうです。ところが人数が多いと書斎では手狭、ほかで会議室を借りれば借りたでいろいろと不便がある。そこでもう一度、自宅で研究会を開けるようにしたいという主旨でした。当時は正孝さんのご夫人がお元気に暮らしておいでで、長年の住まいに愛着をおもちでしたし、生田さんの設計という歴史的な意味もある空間でしたから、既存部分に手を加えることをできるだけ避け、必要な空間を離れとして増築するプランを提案しました。増築部分は半屋外とし、内部空間と外部空間をつなぐことで、居間を広々としたサロンとして利用できるようにしています[事例1・図1]。

─増築部分の設計ポイントを教えてください。

佐野準防火地域だったため、既存の建築の南側の限られたスペースに、屋内外を一体的に使える空間をつくるには、隣地からの「延焼のおそれのある線」の規制をクリアする必要がありました。そこで、隣家からも了解を得ながら隣地との境界にRC造の防火壁を立てて、「延焼のおそれのある線」や民法上の後退距離などの制約をクリアしていきました。防火壁は増築部の壁とし、そのほかの3方にはガラス戸を建て込んでいるので、全開すればほとんど屋外のように使うことができます。増築部の3つの通りの梁は溝を彫って鴨居を兼ねさせ、床にはVレールを埋め込んでいるので、建具を建て込む通りを変えて、この空間を伸縮させることも可能です[事例1・写真1]。

稲垣増築部に可変性をもたせたことで、竣工後の使われ方にも幅が生まれました。感泣亭のリノベーションを契機として、かねて小山夫人(母)と交流のあった地域の人たちとの縁を子息夫妻が受け継ぐかたちで、増築部分を活用したコミュニティ・カフェが開かれることになりました。

とりわけ私たちが感銘を受けたのは、その2年後に小山夫人が亡くなり、この離れで葬儀が行われたことでした。設計した私たちも想定していなかった使われ方でした。建物の外に付加された、ささやかではあるが開放的な空間が、人と人のさまざまなつながりをもたらし得ることに、改めて気づかされました。

事例1感泣亭

感泣亭 感泣亭 [建物データ]
所在地/神奈川県川崎市 用途/専用住宅
構造規模/木造2階建て 敷地面積/134.10㎡
延床面積/116.19㎡
設計+工事期間/2010〜2012年
共同設計/三浦清史(こうだ建築設計事務所)
1半屋外のかたちで増築された離れ。左側の打放しコンクリートの壁は防火壁。木造の屋根を架けて細い鉄骨柱で支持している。梁が鴨居を兼ねており、床にはVレールを設けることでガラス戸の位置を変えたり、外して一体空間にしたりすることも可能 2道路に面した東側外観。手前から玄関、書斎、増築した離れのテラス。母屋は生田勉の設計で1964年竣工。2階建て、最高軒高5.6mと低めに抑えられ、こじんまりとした佇まい。’70年に書斎に下屋をつけて改修しており、今回、外壁を耐震・断熱改修したときにこの下屋の屋根を撤去して、既存の屋根勾配で一体に葺き下ろした

図1 平面図[S=1:300]

平面図[S=1:300]
建築知識研究所

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