特別対談 第2回 伊礼 智×鐘撞正也

更新日2015年08月26日

特別対談第2回 鐘撞正也が業界のトップと語る 伊礼 智 伊礼智設計室 鐘撞正也 フリーダムアーキテクツデザイン 代表取締役社長

家づくりの仕組みを変える挑戦。クオリティの高い住宅を実現するために
大切なこと

“標準化”という独自の手法で住宅設計に取り組む伊礼智設計室と、
年間320棟以上の住宅を手がけるフリーダムアーキテクツデザイン。
スタイルは異なるが、ともに人気の両設計事務所の原点と共通点を探る。

独立した直後は不安だらけだった

鐘撞─伊礼さんの建築家としてのスタートはいつですか。

伊礼─大学生のころは、吉村順三さんに憧れていまして、彼のような設計を身に付けたいと思い、東京藝大で吉村さんの跡を継いだ奥村昭雄先生のもとで勉強しました。その後、奥村先生の助手をしていた丸谷博男さんの事務所で働き始めました。

鐘撞─丸谷さんの事務所で住宅の設計実務を学んでいったのですね。独立されたのは何歳のときですか。

伊礼─丸谷さんの事務所で11年間働き、36歳で独立しました。丸谷さんの事務所では徹夜・徹夜で、目の前のことを考えるだけで精一杯。建築業界全体のことは雑誌でしか知りませんでした(笑)。当時、住宅設計は建築業界の主流にはなれないという風潮もあったので、独立してもやっていけるのか、かなり不安でしたね。

鐘撞─独立直後の不安というのは誰もが経験するのではないでしょうか。私はゼネコンの設計部で働いていました。優秀な人材が集まる会社でしたが、そこでの仕事はプロデューサー的なもので、実際の設計はすべて外注。設計者がお客さまと直接話す機会はなく、現場も見ません。何かがおかしいという違和感をもっていたときに、阪神淡路大震災が起きました。地元である神戸の被災した街並みを見て「この街を何とかしたい」という思いが募り、24歳のときに起業しました。不安もありましたが、なんとかなると考えていたように思います。

伊礼─僕が24歳のときはまだ大学院生でした。独立したのが遅かったので、住宅業界のこともある程度は分かりましたし、客観的に自分の力量も判断できたので、その分、不安も大きかったのだと思います。

それぞれのターニングポイント

鐘撞 正也(かねつく・まさや) 鐘撞 正也(かねつく・まさや)

フリーダムアーキテクツデザイン
代表取締役社長

鐘撞─伊礼さんにとって、ターニングポイントとなった出来事はありますか?

伊礼―10年ほど前に手がけた「9坪の家」という住宅ですね。狭小で、今までのなかで一番予算が少なかったので肩の力を抜いて、標準化された設計を駆使して空間をつくったのですが、意外にもこれが多くの雑誌で取り上げられ、注目を集めました。

鐘撞─何がきっかけになるか分からないですね。私は起業した直後は、不動産屋や工務店などをつてに仕事をしていました。しかし、自分で仕事をとってこない限り、思いを形にできないと感じていたので、なんとかしようと新聞の折り込みチラシを思い付きました。当時、「建築家が坪60万円でつくるローコスト住宅」というのがあったので、「坪45万円でデザイン住宅をつくります」と打ち出しました。すると、問い合わせが50件来たのです。結局、そのうちの1件だけ設計の依頼をしてくれたのですが、その設計料をすべて広告費に注ぎ込んで、見学会を行ったところ、契約が5件取れたのです。これがフリーダムの原点です。

伊礼―なかなか大胆ですね(笑)。僕が住宅の標準化をやりながら気づいたのは、注文住宅と既製住宅の両方をやればいいのではないかということです。ファッションでいえば、オートクチュールとプレタポルテを同時にやる。標準化したものをベースに徐々にクオリティを上げていけば、失敗も少なくなります。その分、新しいことにもチャレンジでき、コストコントロールもできるのと思うのです。

鐘撞─手法は違うけれど、私のめざすところも同じでした。ローコストでありながら、デザイン性を高めていくということを模索していました。

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